そこさえ舐めてりゃいいってもンじゃねぇ!

そろそろブログを閉鎖します

リコリス・リコイルの感動ポルノっぷりに驚いてる。部活ノリで人を殺すんだけど大人のオタクはなんで黙ってるんだろう?とトイレで踏ん張りながら考えてみた。

ちょっと笑えない。リコリス・リコイルのしんどさについて。老害と云われてもかまわない。書くしかない。

結論からいえば、リコリス・リコイルの感動ポルノっぷりに驚いている。

少女と銃と百合と部活感っていう皆が好きな要素で固めたからには何かブチかます気だと思った。大人の命令で人殺しをするという点で物語はシリアスだし。それなのに、メッセージ性があるかと思ったら、ない。

特に気になったのは、リコリスは人を殺すことに何の葛藤もないのである!といっても、葛藤がないわけじゃなくすでに乗り越えた後という可能性ももちろんある。彼女たちのキャリアは一年以上は経ってる雰囲気だ。新人ではない。

その上で言いたい、リコリスは部活の雰囲気で人殺しをしてる。少なくとも人の命を奪うことに葛藤してる様子はない。セブンイレブンうまい棒買って来たわ、ってくらい軽いノリ。

このような違和感を持っているオタクは私の他にいるだろうか・・・。

従来のアニメならこうだ。殺し屋として育てられた少女。悪魔だか天使だか魔女だか裏社会で呼ばれている。そして彼女は目が死んでる。もしくは感情が死んでる。内心は傷ついている。でも殺しの中で心にフタをした。自分でもそれに気が付いていないといった感じ。

 

リコリス・リコイルはまったく骨格が違う。タキナや他のリコイルは人を殺めている。タキナはリコリス喫茶に入ってから殺しはしてないものの実弾銃だ。そして顔は明るい。部活なのか?マックのバイトのバックヤードなのか?

このアニメは命を軽視をしているのではない。そもそも命がないのだ。平たくいってしまえば、このアニメは酷く悪趣味なサバゲーである。

写輪眼持ちのチズルは非殺傷弾を使う。人を殺していない。それならサバゲーの比喩なアニメなんだな!で終わりだ。ところがタキナや他に二人のリコイルは実弾のまま。タキナと交流しても人の命を奪うことに疑問を持たない。

よく知ってる展開はこうだ。チサトに感化されたタキナは非殺傷弾を使い始める。命は尊いと知る。組織から殺しの命令がくる。犯人を殺すのではなく逮捕しようとする。ところが組織は躊躇なくその犯人を殺害。タキナは疑問を持ち始める。そして組織の隠された真実。今度は古い友人たちと対立することになってもタキナとチズルは組織に戦いを挑む。これが私たちのよく知る展開。

リコリス・リコイルは不思議だ。不殺のチサトと交流してもタキナの銃は変わらない。

さすがにアニメ制作者の意地が悪さに胸が詰まった。つまり、視聴者に愉快なサバゲー感を与えつつ劇中で人を殺してる。命を奪ってるシリアスさがごっそり抜かれてる。

 

さらに言えば、チサトは余命が短いことが物語の終盤で明かされる。タキナは命の尊さを初めて知ることになった。お!いいよ!命は大事だよな!!中村屋ァー!と心で叫んでいた私だった。

ところが、タキナは情報屋の男のこめかみに躊躇なく実弾銃を突きつける。タキナの余命に関する情報を知るためだ。しかもちゃんと答えたのに彼の腕を折る。私はかなりショックだった。さすがに考え込んでしまった。

タキナは命の尊さを知ってなかった。自分の大切な人以外の命はマジどうでもいい。どうなろうが知ったこっちゃない。

命の扱いが軽い世界観で突っ切るならそれでいい。でもチサトの余命の話をするのならタキナは命を重く感じる人間に描かれなければいけない。

 

さすがにアニメ制作者の倫理観を疑ってしまった。これじゃただの感動ポルノだ。美少女に拳銃を撃たせたい気持ちは分かる。百合させたいのも分かる。部活ノリもして放課後ティータイムしたいのも分かる。人気は出るだろう。

その上で、大人の命令で女子高生が人を殺す。部活のノリで殺す。このまま「命」の重さを避けるのはズルすぎる。(ギルティクラウンの主人公でさえ歪んだ倫理観の代償として片腕と目と足を失ってたぞ!)

終盤なのにタキナがまだ学んでない。きっとこのまま快調にエンディングを迎えるんだろう。残念すぎる。

少女と銃と百合と部活感っていう皆が好きな要素で固められた。物語として、アニメとして、大人が作ってるものとして、10代に向けてのメッセージがあって欲しい。このままタキナやリコリスが変わらないまま。終わったら完全に感動ポルノ。

アニメ制作者にはプライドを持って欲しかった。