そこさえ舐めてりゃいいってもンじゃねぇ!

そろそろブログを閉鎖します

「じつは物事は正しい順序で起こらない」ー映画『わたしは最悪。』について

「ただ願うだけで達成できるのなら、誰もが善人なんだけどなあ」

と西洋哲学者エマニュエル・カントは始まりますが、神への否定っぽかった彼の著書は禁書となった。平成生まれの自分にとって言葉に違和感はなく、何なら「トイレにかかってる相田みつをじゃねえの?」と思う。なんとなくボンヤリ考えていた、そのうち映画『わたしは最悪。』の関東で上映が始まった。ところが、栃木県に公開はなかった・・・。

 笑顔でダッシュするポスターに一撃でやられてしまった。これは絶対ヤバイ!走ってる映画は名作と呼ばれる。走るは何か理由がいる。体育の授業でもない。ラクーンシティでもない。大人が日常生活で走ることはまずない。つまり、走らなければならない程追い詰められた理由。そんなの人生の「挫折」しかないじゃない!

行かねば!

 

で、実際は、私は電車に飛び乗らなかった。観たい映画があった。私はさすらわなかった。ドンキのトイレでウンコ踏ん張ってた。その間に関東地方の上映は終わってしまった。願ったまま「あー終わってしまった」と言ってる私は、金属バットをもったカントに撲殺されるだろう。

チクショー!フラれた後こそ本気が出る。鬼に家族を惨殺されたくらいの勢いで女がネットストーカーになるのはそのため。ゆーわけで私もトイレをする時間以外はサイトからサイトへ次々にボソンジャンプしている。ネタバレを微妙に避けながら。青ざめた顔に冷や汗を浮かべながら。

 

監督はこう語っていた。「本作のユリヤは、いつもタイミングを外してしまってその瞬間を自分のものにできていないと思ってしまっています。」 うーむ。やはり観るべきだったか。さらにこんな事も言う。

人生は短く、時間には限りがあり、時には物事が正しい順番で起こらないものです。」

最近友人としゃべってていつもの結論がある。人は「欲しい」ときに限って必ず「足りない」。これを「人生は常にパラドックス問題」と私は呼んでいる。たとえば、若いときは旅行に行きたいが往々にしてお金はない。今は働いてお金を貯めて老後にゆっくり旅行へ行こうと考える。いざ定年になるとお金はあるのに旅行に出る体力も気力もなくなっている。とかな。

私はこの「人生は常にパラドックス問題」を発見してから考え方が変わった。よーし完璧にやれるぞと自信が付いたときにはもうその機会は失ってるものだ。だから未熟なままやるしかない。人生はそういうものだ。これについては色々と今度詳しく書いてみたい。

トリアー監督がいう。物事は正しい順序で起こらない。その通りだと思う。その上でいうと、彼のそれを言い換えれば皆に当たり前に起こることが自分には起こらない。皆に起こらないことが自分にだけ起こる。だから時々ひとは気が狂ってしまうんだろう。