そこさえ舐めてりゃいいってもンじゃねぇ!

そろそろブログを閉鎖します

どう考えても五年に一本のアニメなのに全然話題になっていないの!!!!!!!!!『do it yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』

『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』

ついこの前『その着せ替え人形が恋をする』最高だった。マグナムトルネードの勢いのまま放送終了。四年に一本の出来だった!感動した!涙を拭いた。また四年後に会おうぜ!じゃあな!こち亀日暮熟睡男(四年に一度に出る男)のように再びコールドスリープしようとしていた。

叩き起こされた。

素晴らしすぎだった。タイトルは『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』。私のタイムラインでは誰もこの話をしていなかった。なぜ!!!教えてくれなかったの!!もし石板を掴んでいたならニーキックで破壊していただろう。

今季のアニメは惑星直列くらい凄まじい。ビッグタイトルの豊富なこと。チェンソーマンや機動戦士ガンダム水星の魔女、うる星やつらBLEACH。そしてポプテピピック。そこに埋もれているのだろうか。

オリジナルアニメーション『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』。アマゾン川が逆流するくらいの超究武神破斬。

あらすじを簡単に。呑気でアホな女子高一年生の結愛せるふ。彼女はある日、廃部寸前のDIY部に入部してしまう。三年生の部長に工作を教えてもらいながら同時に部員を集めようとするもの。

私が特に面白いと思ったのは、キャラクターの素晴らしさ!見てて目が離せない。いやいや、こんな手垢の付きまくった言葉を使いたくはない。でもね、本当にそうだから仕方ないじゃない。

この世界の片隅に』を初めて観たとき。その衝撃だった。すずさんから目を離せないって気持ちわかりますよね?あの映画は内容が素晴らしい。ただ、すずさんやその他のキャラクターたちがとにかく魅力的。まずそこに心をつかまれた。

結愛せるふは授業をまるで聞いてない。空を眺めて雲の布団で横になっている空想をして、気がつけば終礼が終わっている。常に一歩どこか三歩ほど出遅れる。そして彼女は他人が自分のことをどう思っているかを全く考えていない。すずさんが現代に転生したような印象を受ける。

彼女はドジで毎日ケガしている。自転車でコケる。工作しようとしてもズレる。何かしようとするといつも失敗。顔も身体もキズだらけ。ところが彼女はネガティブにならない。かといってポジティブなわけでもない。失敗をとくに失敗とは感じていない。たまたまミスっただけ、明日はフツーにできるはずだ。当然次の日もミスる。そして、たまたまミスっただけ、また明日やるかーと思ってる。ドジがさらにアホにまでなって覚えたドラグスレイブを町に撃ち放ってしまいそうな勢いである。

そんな結愛せるふは他人を受け入れる。というより受け入れてすらない。あ、そうなんだ?ふーん。そんなノリ。映像を見てもらえると一発で分かるそれが伝わらないのが悔しい。

ともかくこのアニメむっちゃ良いんですよ。

 

2022年10月5日から放送が始まったアニメ『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』

仮面ライダーBLACK SUNを観てたらイケメンの乳首に興奮した

前前前世のように遠い記憶だが、小学生時代に『仮面ライダーBLACK RX』を観た。大好きだった。当時だから保育園のときなのか、ビデオで見たのか定かではないが見た。

さて、10月28日からアマゾンプライムで『仮面ライダーBLACK SUN』が配信された。主役はドライブ・マイ・カーの人と、孤狼の血でチンピラの耳をかみちぎった人。

結論からいうと、ガチ過ぎたシン・ゴジラだった。わかりますかね。ユーモアをごっそり抜いてムキムキな政治性をイッツマイライフ!

シン・ゴジラも政治的だった。でもユーモアがあった。ミサイル撃ちますか?撃ちませんか?の問答(登場人物は真面目にやってるのがまた良い)、コミュニケーション力無さそうな人たちが作戦考える。そんなユーモアを根こそぎ引きちぎった。それが『仮面ライダーBLACK SUN』。

観ながらこう思った。製作陣ってもしかして政治的なものを作るときユーモアを抜かなきゃって思ってるのかな?と。

ユーモアがあるからシリアスが活きる。今放送してるNHK『鎌倉殿の13人』を観れば分かる。これは中心人物が連続死ね死ねミサイル撃ち放ったくらいにドンドン死んでいく。実際に戦国時代の武将たちは「私たちのしてる事なんて鎌倉時代に比べたらヌルいっすよ」と言っていたほど。だからさっさと死ぬのは史実。

これがどういう劇になっているかというと、ユーモアだらけ。お笑い番組のコントを見てるような可笑しさがある。と思って人物に愛着が沸いたところでザクっと殺される。心がかき乱される。笑いがフリなってるのだ。

笑いがあるからシリアスが何十倍も活きる。

今回の『仮面ライダーBLACK SUN』はずっとシリアス。もちろん、私がまばたきした瞬間に笑いどころが提供されている可能性もある。

www.kamen-rider-official.com

気になった動画「きりんのしばき合い」「ダイアン 世界一癒させる動画」

キリンのしばき合い

たまにサバンナ動物を見たくなる。特にこれはいい。バトルも良いけど、タイトルがいい。それが「キリンのしばき合い」である。言葉の表現ひとつで一気に面白く感じる。最近読んだ本で「面白いとは何か?」というテーマのなかで、結局のところ人が面白いと感じるのは「単語」だと書いてあった。普通とはちょっと違う単語がポイントらしい。そうだな、言われてみればそうかもしれないと思った。この動画に目が止まったのもしばき合いという単語に面白味を感じたからだ。

 

 

ダイアン-世界一癒させる動画

こちらは15秒程度の動画。死ぬほど笑ってしまいました。アンパンの新しい顔みたい繰り返し観てました。よろけた子供をダイアン津田が支えると、子供が彼に腕を回してそれを抱きしめ返すというだけなんですが、これが面白すぎた。あとちょっと泣きそうにもなります。アニメの輪るピングドラムってこういう事なのでは?とさえ思いました。

腰振りながらセックスなんてしたくないヨと男は考えてる恐ろしい映画だったヨ「SHAME/シェイム(18禁)」

シェイム」(2011)

 


面白かった。特に、罰されたいと思っている男性の様子が描かれていたこと。

とはいえ、そんな映画はよくある。完璧だがどこか物足りなさを感じている主人公。平穏な日常を破壊してくる自由奔放な人間が殴り合おうぜと現れたり、ときには異世界に跳んでみたり、天空から女がビヨーンと降ってきたり。この映画にそれはない。現実の私たちの生活はそんなもんだ。

ハッキリ言ってしまえば、この映画の主人公にハプニングが起こらない。起こしてくれる誰かもいない。

主人公のブランドンはエリートサラリーマン。彼はモテる。セックスしまくる。課長島耕作である。電車で目が会った女性、飲み屋で会った女性、会社の同僚、コールガールを家に呼んだりもする。

ここまでならまあセックスが好きなんだなあで終わり。ところが彼は会社でも自宅でもポルノ映像を見る。むっちゃ見る。無表情で見ている。あるとき会社の同僚と真面目にデートして珍しく他人と仲良くなれたブランドンだった。後日、仲良くなったその彼女とセックスしようとする。

なぜかこの時だけ勃起できなかった。何かがおかしい。彼はセックス好きなどではなかった。満たされなさをセックスで埋める。彼にはそれ以上の何かがあるように私には思えた。

物語後半。彼はゲイクラブに吸い込まれる。ゲイとセックスする。そうか、本当は同性愛者だったのを彼は自分で抑圧していたんだ!ところが彼はその後に女性二人と3Pをする。えー!この作品は同性愛者だった自分の発見という着地を許さない。

ラストは妹が自殺未遂をする。これにショックを受ける。その場で一人泣き崩れる。感情をハルマゲドンして叫ぶ。

彼の闇のありどころは最後まで描かれない。妹とのやりとりを見ているとこの兄妹には秘密の何かがあると思わせる。両親との関係に何かがあったのだろうか。それは描かれない。

この映画にあるのはブランドンが何かを抱えているということ。セックスで紛らわせているがセックスで解消できない何かであるということだ。

私が気になったのは物語後半の3Pシーン。バックで女性をバシバシ突いているブランドン。その顔が苦心している。まるでやるせないという顔。しまいに腰は動き続けているものの次第にスーッと冷静な表情に変化する。そしてカメラ目線になりこちらに顔を向ける。怖い。

私が感じたのはこうだ。彼は自分自身を罰したいのだと。でもそれができない。罰することしかできない。セックスは他人に自分をあけ渡すもの。行為の性質上、男性が突く側であり女性は突かれる側になる。彼は罰する側にしかなれない。いくらセックスをしても。女性の後ろから腰を何度も何度も振りながら苦心した顔と冷たい表情。罰されたいのに罰するしかできない。当の女はそんな表情を見ない。そんな事を考えない。考えてもみない。男が本当はセックスなんてしたくない事をセックスをしながら考えていることを彼女たちは女知らない。

彼はセックスの中で自分を罰したいけれど男性である身体がそれを許さない。社会も許さなければ女性も許さない (というか女性はそんな心理が男性あるなんて考えたくもないし知りたくもないだろう。男性もそんな事を明かしたら男性として終わりだと思ってるし、言わないし言えないえないわよね)。この映画は男性が男性性のなかで永久に自家中毒を起こす様子をよく描いたなと思った。

彼が救済されることはない。劇中で何かしら日常がブッ壊れるようなラブハプニングが起こらない。外から自分を変えてくれる何かは起こらない。かといって自分で何かを起こす事もできない。そんな現実のドン詰まりを描いていて私は好きな映画だった。

最後に気に入ったセリフを一つ。「私たちは悪い人間じゃない。生まれた場所が悪かっただけ」

 

 

音楽:ハリー・エスコット
撮影:ショーン・ボビット
作品名「SHAME」2011年イギリス公開
 

ブログを書くのは何で苦痛なのかを頭ねじ切れるまで考えてみたら面白かった

ノートに書くのはできるけどブログを書くのは苦手。という人は多い気がする。紙のノートにはいくらでも話題を飛ばし、時にはグイーンと矢印を引っ張ったりして書ける。

ブログはそうはいかない。文章を人に読ませるにはキチンとした一本道を作らなければいけない。ピッコロの魔貫光殺みたいにな!

そう考えるとブログはコンクリート舗装に似ている。地面をコンクリで埋める。白線を引く。標識を作る。初めて来た人が歩きやすいよう真っ直ぐに。どれもこれも他人のためにある。

ノートは自分が読めればそれでいい。ナタを頼りにザクザクと森林を掻き分ける。切り開いていけばいい。地面はデコボコでかまわない。自分が歩ければいい。

十年以上前、詩人の最果タヒ『グッドモーニング』を読んだ。彼女の一作目だ。収録されている一つが気になった。詩の文字がグルグル~と回っていた。面白い試みだったけど、スポポビッチくらいうぜえなと私は思った。

詩は読まれてこそ詩。だけれどそれじゃあツマンナイッスねーって生まれたアイデアだろう。私の詩を分かって欲しいけど簡単に分かられてたまるか!という著者の自意識。私は付き合えなかった。そこは素直に行こうぜ!

やっぱり人前にものを出すときは素直に出した方がいい。

ただ、だからといって、素直を勘違いしてはいけない。手を加えないといけない。相手が歩きやすいように。地面のデコボコと雑草が良いんだよね~、と言ってる場合じゃない。そんな自意識はコンクリートの下に埋めてしまえ。

いまワンピースが最も頭を使う漫画になっている件

『ワンピース』をひそかに気にしている私ですが、今回もまたすごいのをカマしてきましたね。……。以前ワンピースはあと5年で終わります!というキャッチーなことを尾田栄一郎が言っていたのですが、それをふまえて今回はセラフィムとロッキーポート事件というキャッチが! う、うまい!

とか言ってる場合じゃなくて、あと十五年は余裕で連載続けられるのでは?ツイッターでの読者の反応もすさまじい。「#今週のワンピ」で検索してみると、二〇二二年でいちばん頭を使う漫画はワンピースに思える。なにせ読者が過去の漫画のコマを張って「これはこういうことだったのか!」と伏線と考察のギャラクシアンエクスプロージョン。

ワノ国編が終わってあとは古代兵器とイム様と黒ひげとシャンクスの大決戦のみ。ところが、今週の一〇五九話を読んでみると「黒ひげとコビ―が協力して王直を撃退!?」「ローってまだ秘密握ってた!?」「海軍が王下七武海級の人造人間を完成させた!?」って感じだったんですけど。

「セフレだけど私があなたの一番の女だって思ってる。え、なんで突き放してくるの。」みたいな衝撃でした。マジ泣きしそうになりました。ううっ……。いつしか私まで闇に取り込まれそうになってるよ!

 

 

 

リコリス・リコイルの感動ポルノっぷりに驚いてる。部活ノリで人を殺すんだけど大人のオタクはなんで黙ってるんだろう?とトイレで踏ん張りながら考えてみた。

ちょっと笑えない。リコリス・リコイルのしんどさについて。老害と云われてもかまわない。書くしかない。

結論からいえば、リコリス・リコイルの感動ポルノっぷりに驚いている。

少女と銃と百合と部活感っていう皆が好きな要素で固めたからには何かブチかます気だと思った。大人の命令で人殺しをするという点で物語はシリアスだし。それなのに、メッセージ性があるかと思ったら、ない。

特に気になったのは、リコリスは人を殺すことに何の葛藤もないのである!といっても、葛藤がないわけじゃなくすでに乗り越えた後という可能性ももちろんある。彼女たちのキャリアは一年以上は経ってる雰囲気だ。新人ではない。

その上で言いたい、リコリスは部活の雰囲気で人殺しをしてる。少なくとも人の命を奪うことに葛藤してる様子はない。セブンイレブンうまい棒買って来たわ、ってくらい軽いノリ。

このような違和感を持っているオタクは私の他にいるだろうか・・・。

従来のアニメならこうだ。殺し屋として育てられた少女。悪魔だか天使だか魔女だか裏社会で呼ばれている。そして彼女は目が死んでる。もしくは感情が死んでる。内心は傷ついている。でも殺しの中で心にフタをした。自分でもそれに気が付いていないといった感じ。

 

リコリス・リコイルはまったく骨格が違う。タキナや他のリコイルは人を殺めている。タキナはリコリス喫茶に入ってから殺しはしてないものの実弾銃だ。そして顔は明るい。部活なのか?マックのバイトのバックヤードなのか?

このアニメは命を軽視をしているのではない。そもそも命がないのだ。平たくいってしまえば、このアニメは酷く悪趣味なサバゲーである。

写輪眼持ちのチズルは非殺傷弾を使う。人を殺していない。それならサバゲーの比喩なアニメなんだな!で終わりだ。ところがタキナや他に二人のリコイルは実弾のまま。タキナと交流しても人の命を奪うことに疑問を持たない。

よく知ってる展開はこうだ。チサトに感化されたタキナは非殺傷弾を使い始める。命は尊いと知る。組織から殺しの命令がくる。犯人を殺すのではなく逮捕しようとする。ところが組織は躊躇なくその犯人を殺害。タキナは疑問を持ち始める。そして組織の隠された真実。今度は古い友人たちと対立することになってもタキナとチズルは組織に戦いを挑む。これが私たちのよく知る展開。

リコリス・リコイルは不思議だ。不殺のチサトと交流してもタキナの銃は変わらない。

さすがにアニメ制作者の意地が悪さに胸が詰まった。つまり、視聴者に愉快なサバゲー感を与えつつ劇中で人を殺してる。命を奪ってるシリアスさがごっそり抜かれてる。

 

さらに言えば、チサトは余命が短いことが物語の終盤で明かされる。タキナは命の尊さを初めて知ることになった。お!いいよ!命は大事だよな!!中村屋ァー!と心で叫んでいた私だった。

ところが、タキナは情報屋の男のこめかみに躊躇なく実弾銃を突きつける。タキナの余命に関する情報を知るためだ。しかもちゃんと答えたのに彼の腕を折る。私はかなりショックだった。さすがに考え込んでしまった。

タキナは命の尊さを知ってなかった。自分の大切な人以外の命はマジどうでもいい。どうなろうが知ったこっちゃない。

命の扱いが軽い世界観で突っ切るならそれでいい。でもチサトの余命の話をするのならタキナは命を重く感じる人間に描かれなければいけない。

 

さすがにアニメ制作者の倫理観を疑ってしまった。これじゃただの感動ポルノだ。美少女に拳銃を撃たせたい気持ちは分かる。百合させたいのも分かる。部活ノリもして放課後ティータイムしたいのも分かる。人気は出るだろう。

その上で、大人の命令で女子高生が人を殺す。部活のノリで殺す。このまま「命」の重さを避けるのはズルすぎる。(ギルティクラウンの主人公でさえ歪んだ倫理観の代償として片腕と目と足を失ってたぞ!)

終盤なのにタキナがまだ学んでない。きっとこのまま快調にエンディングを迎えるんだろう。残念すぎる。

少女と銃と百合と部活感っていう皆が好きな要素で固められた。物語として、アニメとして、大人が作ってるものとして、10代に向けてのメッセージがあって欲しい。このままタキナやリコリスが変わらないまま。終わったら完全に感動ポルノ。

アニメ制作者にはプライドを持って欲しかった。